双極性障害の症状と自分自身の性格との境界は曖昧だ

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昔に比べたら、自分の状態を客観的にみられるようになってきた。

寛解(フラットな状態)の感覚もつかめるようになったので、症状が出てきたときには「あ、これ病気の症状だわ」と認識できるようにもなってきた。

 

それでもやはり、躁やうつという気分にかかわる症状と自分の本来持つ性格とを完全に区別することは難しい。

私は元々ネガティブな人間なので、ネガティブな思考をしているときにそれが本来の私の思考からくるものなのか、うつの波の中にいてうつという病気の症状としてそういう思考をしてしまっているのか、判断がつかないときがある。

 

躁(軽躁)の時も同じ。

アイデアが沸き上がってきたり、なんかおしゃべりがしたくなったりすると、あれ、私、躁っぽくなってる??とドキドキする。

人間だもの、そういうときだってあるだろうに、やっぱどうしても警戒してしまう。

警戒しすぎてむしろうつっぽくなる(笑)(←いや、笑えないけど!)

 

「感情」がかかわる分野の病気だから、やっかいだよね。

これ、多分、明確にわけることができない場面というものは多々存在するのだと思う。

 

 

そういう状態になったとき、どうするか考えてみた。

【パターン①】
すべて症状として扱って、躁(軽躁)やうつの対処をする。

【パターン②】
とりあえずすべて性格として扱って、いつも通り過ごす。

 

①のすべて症状として扱うってのをしておけば、初期の躁(軽躁)やうつを見過ごさずに済む。

仮にそれが躁(軽躁)やうつじゃなくても、もしもの場合を考えた場合よりはリスクが少なくて済む。

 

②のとりあえずすべて性格として扱うってのは、とりあえず様子見をしておいてそのまま落ち着けばそれでいい。

ただし悪化してきているなと感じたら対処をするという流れになるから、もしも悪化した場合には①よりも手厚い対処が必要になるかもしれない。①よりはリスキーになるかも。

 

 

でも私は②のパターンが合ってるなと思う。

なぜなら放っといても悪化しないから。あと、急激に躁転したことがないから。

もしも1日でスコーーンと躁転してしまうタイプならこの判断は危ないけど、それがない。

むしろ、躁だ!うつだ!って敏感になってると、もうそのことに振り回されちゃって疲れちゃうので、ちょっとおかしいなと感じることくらいはスルーしちゃった方がいい。

実際、そうやって過ごしている方が気分の波が短期間で収束する。

躁かも。うつかも。などとこだわって案じている方が変に長引いてしまう。

こういうのも自分で経験してみて、試してみて、合う方法や考え方を探っていくしかないのがしんどいが、その分、こうしておけばなんとかなるという自信も得られるのではないだろうか。

 

とはいえ、双極性障害歴が長い私は、うつっぽいなとか躁っぽいなと感じるともうほぼ無意識に症状を抑制しようという方向に意識が向いてしまうので、②といいつつ①をしているのかもしれない。

 

 

この曖昧な状態が症状なのか性格なのか、後になって振り返ってみてわかることはあるとしても、感情が沸き上がっている瞬間に的確に判断するのは多分無理だ。

 

なのでそういう曖昧な状態の時もあるが、明確にジャッジしなくてはならないものでもないし、それで何か行動を起こして失敗したとしてもそれはそれで次にそういう時が来た時に活かせばいいのではないだろうか。
(いっておくけど性格と症状が明確に判断できないような段階の話ですよ。事象や自殺未遂は明確に躁うつだと思っているので。)

 

 

それでもさ、どっちなんだろうって悩むよね…。

ま、けど、それがわかったところで、多分それ「で?」って感じになると思う。

気持ち的にはすっきりするかもしれないけど、判断がつかないような場面は次から次へとくるし、それを正確にジャッジできたら気分の波がおさまるかというとそうでもないと思う。

そういう曖昧なものを、曖昧なままにしておく・とらわれないようにすることの方が、今後の健康的な暮らしにつながっていくんじゃないかなぁ、と思いました。

 

 

ではでは、今日はここまで。
ちはるでした!

 

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